建築士:安藤邦廣さん

那賀川すぎ共販

里山建築研究所

安藤邦廣(あんどう・くにひろ)さん

profile

1948年生まれ。筑波大学教授・一級建築士。大学での研究成果を、「里山建築研究所」を通じ、民間と協同で普及・提供する。日本の森林資源の大きな循環の回復を視野に入れるなかで、古民家再生や里山保全の活動も展開している。趣味はサッカー観戦。


木の家は平和の象徴、日本が世界に誇る哲学なんです。

※古民家を利用した「里山建築研究所」(茨城県つくば市)で伺いました。

古民家を利用した事務所の庭大学で建築を研究する中で「板倉の家」という構法に出会い、一般に普及するため作ったのがこの研究所です。でも実際に建ててみないとその良さは分からないので、実験住宅として僕の実家の仙台に母の家を建てたのが「板倉の家」第一号で、1988年。それを考えるまでに二、三年かかってますから、もう板倉の家とはかれこれ25年の付き合いですね。そして1990年、20年前に那賀川すぎ共販さんと出会って、ここ、つくばでの板倉の家づくりが始まったわけです。

“板倉”というのは板の蔵です。全国的に蔵といえば「土蔵」がその代名詞になってるけど、千年以上前から、日本の都会である京都や奈良では板倉が一般的でした。伊勢神宮や東大寺の正倉院が、その代表です。木は厚く使うと表面が焦げてもなかなか燃えないし、断熱・防火・調湿・耐震という、蔵に必要な性能はすべてクリアしている。これが土蔵に変わった最大の原因は、都市化と戦争で、木材資源が足りなくなったことです。500年前、応仁の乱という大きな内戦が起きたとき、日本の山は全部ハゲ山になって、木がなくなったので土を使い始めた。現代は、60年前の戦争でまた森林資源がなくなり、今度はコンクリートを使うようになった。同じことです。

今は山に木が充分に回復してきたけど、60年間木をあまり使わなかったことで、山で働く人、製材する人‥‥という、一連の木材供給のシステムが壊れてしまって、経済ベースに乗る形で供給できなくなってしまった。外材との価格競争に勝てるだけの合理化ができてないことと、働く人の高齢化、この二つの要因で、日本の木材は自給率わずか20%でしかなく80%を輸入している。世界の森林の三分の一を日本が使ってるわけです。でも、これからはそんなことは許されない。木材資源の、せめて三分の二は自給できるようにしなければならない。

縁側のある和室で話を伺う特にいま山にたくさんある杉は、成長が早いし、中に空気層をたくさん持っていて、密度が低くて軽い、少し柔らかい材料だけど、厚く使えば強度も十分にある。木材資源が回復してきたいまは、500年前に途絶えたものを復活させるチャンスであると同時に、80%輸入に頼っているという国際問題を解決して、日本の住まいは日本の木で作るという、正しい循環を取り戻す重要なチャンスなんです。それには、このホームページで取材されているように、木を植える人、製材する人、設計する人、建てる人、ユーザーという人たちが、同じ目標に向かって連携しないといけない。最初は多少高くついたり、問題もあるかも知れないけれど、千何百年もやってたことだし、現代の技術力をもってすれば、もっとバージョンアップできる。そういう想いで、板倉の家づくりを提唱し、仲間を増やしているところです。

本当は、いつの時代も、世界的に見ても、人類にとって永遠の材料であり、一番高級なのは木材なんです。パルテノン神殿にしても、列柱が全部丸いでしょう。あんなふうに木を真似たつくりになっているのは、もともとその地域でも木造建築だったからです。木は、一番には使いやすい。また住宅に必要な、断熱や調湿、耐震といった性能を備えている。けれど木が育ちにくい地域は木がないから仕方なく、また戦争の多い地域は命や財産を守るために、より燃えにくい、壊されにくい建築が必要になり、石やレンガ、のちには石油製品や鉄やガラスを使ってきた。ヨーロッパや中東、中国も、そういった理由で木造の伝統が早くから失われた。でも長い目で見ればそちらのほうが稀なことで、人間は木材資源を使って暮らしてきた。森林は人類のふるさとだから、当然と言えば当然ですけれど。

木材を使うということは、森林を守るということでもありますね。いまの日本の森はほとんど人工林だから、人が植えて、手入れして、使う、また木が成長することで二酸化炭素を吸収する‥‥。その循環を日本が取り戻すということは、大きな意味で価値があることです。そして板倉の家は、柱や梁だけじゃなく、床、壁、屋根と、全部厚い木で作るから、単純に計算しても、従来工法の2倍から3倍の量の木を使う。ほとんど新建材を使わずに木材で一軒の家を作るというのが、この構法の最大の特徴です。

木の家には、まだまだ目に見えない力があると思いますよ。いまは断熱とか調湿とか耐火・耐震という、物理的な面だけで評価されてるけど、心理的・生理的な面はまだまったくカウントされてない。それを加えたら他の材料より、はるかに優れているのは間違いないと思います。物理的な価値評価だけで戦後復興してきた日本人は、まだそれに気づかないようですが、健康を害してる人、高齢者や妊婦や赤ちゃんといった人たちは敏感です。木の家がどれだけ素晴らしいかというのは、すでにいろんな人が言ってるのはご存知でしょう。

鉄とコンクリートの家は、ストレスが多いんです。音の響きは強いし、湿度をコントロールしないし、熱をどんどん奪ってしまう。機密性が高いから空調が適していただけなのに、「木の家は機密性が低くて寒い」という、ヘンな認識になってしまった。本当は、木の家は冬暖かくて夏は涼しいし、空調がなくても湿度も温度もおだやかに変化します。鉄とコンクリートとガラスの家は、そのままだったら急激な変化をするので、それを補うために空調でフラットにして、いつでも同じような温度と湿度を保っている。でも、それが人間には、またさらに負荷をかけるんです。変化しないということは人間にとって不自然なことだから、別のストレスになる。空調のある部屋では、女性はたいてい体調を崩しますよね。

一枚板の机仕事場というのはある意味戦場だから、ある程度ストレスがあるほうがいい。強い建築が必要なんです。でも、女性が子どもを育てたり、家族が安らぐ場はそうではない。そこのところを間違って、戦後の日本人はすべて戦時体制の家を作っちゃった。だけど戦争は終わったわけですから、平和で持続的な建築を作ればいいんです。本当の平和な時代を21世紀の日本は目指すんだというときに、「公共建築は木で作る」という法律ができた。これは単なる偶然とか気まぐれではなく、あるいは二酸化炭素を25%削減する目標を立てたからというだけじゃなくて、大きな目で見れば、日本が戦争の社会から平和の社会になるんだと、そういう意味があるわけです。

これは面白いし、大切なことです。“木は平和な建築である”。長いスパンの循環をして、自然と共存する思想でしょう? すごい哲学です。日本人がなぜ木を使ってきたのか、歴史に学べば、そういうことが見えてくるんです。

僕たちが本格的に板倉の家を作ろうということになったとき、つくばは関東という大消費地だから、どこの木を使うかはいろいろ選択肢があったし、当然茨城も原木の産地ですから、地元の材料を使うことも考えました。でも、やはり柱材が主なんです。板はあっても、天井板とか化粧の板とか、薄くてキレイなものしかなかった。板倉の家は、一軒で、長さ4m×幅15cm×厚さ3cmの板を1500枚くらい使います。そんなものはどの製材所も作ったことがないので、特注品になるし、乾燥に半年もかかって手間ヒマかかるうえにリスクもあるというので、どこに見積もりを取っても求める単価の倍くらいになってしまって、材料が得られなかった。

そんなとき、徳島は足場板を生産してるというので、徳島の知人に相談したところ、那賀川すぎ共販の千里献一(ちりけんいち)さんを紹介してもらったんです。千里さんにとっても初めての試みだったけど、足場板も九州材に押されて頭打ちだし、とにかく一度やってみようと同意してくれた。最初に10トン車で1200枚の板がいっぺんに届いたときには感激しましたね。

足場板という脇役的な材を主役にするという逆転の発想で、これなら安くできるという見通しはあったけれど、問題は乾燥をどうするか。木の持つポテンシャル(潜在的な力)は、引き出し方によって全然違ってしまうんです。高温で乾燥させる人工乾燥は、速くて効率的だけど、表面的な割れは防げても、木が持っている耐久性物質、芳香性や防腐効果といったものが全部飛んでしまって、カスになってしまう。若い木が持つ生命力が失われて、強度的にももろくなるわけです。それに、木という天然資源を使って家を作ろうというのに、石油で乾かして、おまけにそれがコストに跳ね返るのでは、まるで意味がないでしょう。だから、とにかく野積みでいい、雨に当たっても杉はまたどんどん乾くから、風を通す場所さえあればいい、特別な管理をする必要はないから、那賀川の河川敷にとにかく半年置いて、天日乾燥でやろう、ということになりました。

徳島はやはり、阪神という大消費地に向けてパッと船で出荷できるという立地で、背後の林業地帯から木材を全部那賀川に集めてどんどん出荷したという数百年の歴史があり、材料だけでなく、加工技術も優れているんですね。また、柱材なら京都の北山、薄い化粧材なら秋田杉‥‥といったように、産地によっていろんな品種改良がされてきたなかで、徳島は板を作ることを長くやってきた。だから、板にするには丸太の大きさはどれくらいで、赤身がどれくらいあったらいいか、年輪幅がどれくらいのものがいいか‥‥どんな木が板に向いているかを見極めて製材する、ノウハウとルートを持っている。効率よく大量に板を製材する技術は、日本のトップだったと思います。

那賀川すぎ共販こうした出会いがあって板倉の家が作られるようになって、一番喜んでいるのは「山」でしょう。木がどんどん使われることで山が手入れされてこそ、木が健全に成長していく。木も老化すると二酸化炭素を吸収する力はなくなるんですね。若い木がグーンと育つときに二酸化炭素を吸収するわけですから。でも古い木は若い木が育つのを守るという役もある。人間社会と同じで、やはりバランスが取れてないといけないわけです。いまの山には50年、60年~80年くらいの木に、極端に分布が集中している。これは山が高齢化してるわけで、このままだと超少子化社会になる。山に木はあるけど、植える場所がない、若い木が育たないという状態は深刻なんです。若い木が育つ環境を常に作るのが、正しい循環と持続なんです。

そのためにも、板倉に使えるような、樹齢が50年から70年くらいの木がたくさんある今、これをうまく使って日本人の住まいを作れば、安くていいものが手に入る。今はまったく“旬”、最高のタイミングなんです。旬に木を切れば、また次の旬ができるわけで、そうやって旬が続くようにしないといけないんですね。

いま僕が手がけてる住宅は、基本的にすべて木造です。それは、平和でストレスのない建築を作りたいと思っているから。鉄とコンクリートの建築は戦う建物だから、敵がいる場合や、カラダを鍛えてストレスに負けないって人ならそういう家に暮らしたらいい。ある種の武器、いわば鎧ですよね。それが必要な時代、必要な場所もあった。でも、本来日本は昔から“和”の国です。聖徳太子が「和を以って尊しとなす」と言ったのも、太平洋があって雨が多くて木がある、そういう場所では和を以って暮らすのが一番合ってるという宣言だと思います。そういうことをもう少し大事にして、日本人は世界に先駆けて平和の建築を木で作る、この技術では世界でトップなんだ‥‥ということに、自信と誇りを持つべきだと思いますね。

日本の人工林の3分の2は杉なんです。松もあればケヤキも栗もあったのに、日本人は材料として、いろいろ長く使った結果、杉を選んだ。それには、やっぱり理由があるんです。まず成長が早い、そして成長をやめない。広葉樹は200年くらいで成長をやめて立ち枯れしますが、杉は条件が良ければ一万年生きます。縄文杉までいかなくても、樹齢1000年の杉は結構どこにでもある。つまり生命力が旺盛で、生命を濃縮する力がある。

また、杉は素直な木で、木目がまっすぐに通ってるから、3ミリくらいまで細くできる。他の木では、まっすぐ製材するには3センチくらい厚くしないと途中で折れちゃう。そうすると重くなりますよね。杉はもともと軽い上に細くできる。だから障子やフスマみたいな日本の建具を作るれるのは杉しかないんです。引き戸の文化を日本人が発明できたのは、杉があったからですね。障子もフスマも、雨戸さえ、女性でも片手で開けられるくらい軽いということが、日本の建築のあらゆる特性を作ってます。軽いということは、人間に優しくて、傷つけない。これもまた、平和だということですよね。こんな建具、バーンと破ったら侵入されるでしょう。カギをかけるという発想もない。だけど日本人はこれでOKなわけです。閉めたら「ここから入っちゃダメ」という了解ができる。平和でしょう?こうして、内装や建具に使えるのであれば、コンクリートの建物の内部にも使えますよね。そうすることで、また杉の利用がさらに広がります。

こういうふうに、杉が持っている可能性を理解しながら、日本人が歴史的にたどり着いた高みを、我々はこれから取り戻さなければならない。板倉の家は、そのひとつの始まりなんです。


安藤さんが提携しているのは・・・

那賀川すぎ共販(協)

那賀川すぎ共販(協)

天然の無垢板建材「セーフティボード」や「板倉造の住宅」などを通して、人と自然環境にやさしい快適な家づくりをご提案しています。

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